我々、プロジェクト 結接点.net (けっせつてんねっと) は最終的な目標として「国籍・年齢・性別・障碍(しょうがい)の多寡に関係なく、全ての人の学びたい意欲を引き出し、寄り添い、支えて行く」ことを念頭に活動しています。
初期段階として「日本の中の多文化交流活性」をテーマに活動を進めています。
状況により日本という枠もどんどん超えていきます。
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(『補足コラム: ネットワーク摂理について - ハブ空港と地方空港を例に』 もご参照ください) ↓ ↓ |
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「結接点.net (けっせつてんねっと)」、この名前が当プロジェクト創設者の頭に浮かんだのは、正確には覚えていませんが、2002年か 2003年の仕事帰りの東京 山手線の中でのことでした。 サラリーマンとして仕事をしつつ、その先に思い描く自分としての最終的なキャリア(人々の学びに貢献する、平たく言えば教育分野)について考えていました。 自分が主体となったらどうデザインし、運営していくか、と。 そして、それを飾るに相応しい、活動や想いを反映した名前について思いを巡らせていました。 以前から色々と考えてはおり、その続きではありました。 込めたかった想いは今とさほど変わっておらず、「繋がっていく」イメージを盛り込みたいと考えていました。 そこで考えていたのはネットワークなどの接合部分を表す "joint" や「結節点」の英訳である "nodal point"、"node" など。 そこではたと気がつきます。何故「横文字での名前を考えているのだろう」と。 何やら諸事を出来るだけ直接的には感じないよう、曖昧な形に持って行こうとする日本人の精神性が自分にもしっかりと表出されていると感じました。 その頃から、多文化交流や異文化コミュニケーションのような領域を手掛けて行こうとは考えていましたが名前を「横文字」で付けようとする精神性は冷静な分析を加えるとそれ以前のものでした。 何かプロジェクトや組織の名前を付けようとする → 「では横文字で何という」云々 無意識にやってしまっている人は多いのではないでしょうか。 そうなると天邪鬼な自分は、そちらの思考回路は制限して、日本語や漢字を基調に考えを巡らそう、と思いました。 ソニーが、その前身である「東京通信工業株式会社(東通工)」から「ソニー / SONY」に名前を変えたのは、海外での事業も視野に入れ、海外でも受け入れられやすい名前を想定してのことだと言います。 しかしそれも20世紀までのことだ、と思いました。 21世紀は、海外展開などを視野に入れるとしても、その地域固有の言葉をつけてそれを説明し受け入れてもらう。 受け入れる側も言葉が分からないことで即遠ざけるのではなく、一歩踏み込んで聞き入る、受け入れる器を形成する、それがこれからの世の中の姿であるべき、 そのような想いからです。 「結節点」まで辿り着いたその先、色々と頭を巡らせている間にポッと「結接点」という言葉が閃きました。 そして「.net」。 これは、代表が 2000年前後にあった所謂ITバブルの渦中にいたことが影響しているかもしれません。 ITバブルは別名「.com (ドットコム)バブル」とも呼ばれいました。 「xxxx.com」 と名前がついた会社やインターネットサイトが数多、氾濫していたからです。 ここでも天邪鬼精神が発揮されました。 インターネットは「.com(ドットコム)」だけではない。 それに「ネットワークしていく」「繋いでいく」ことを標榜した活動であるし「.net」 の方がよりしっくり来る。 自然な流れでもありました。 正直、結接点.net などと名付けてみたものの、何か気恥ずかしさ、本当にこの名前で活動を推し進めて行くのか、と揺れた気持ちがありました。 が、もうブレません。 「結接点.net (けっせつてんねっと)」たること、そこに込めた想い、をしかと意識して活動して参ります。 (2011年 まだ寒さの残る 3月上旬 に当プロジェクト代表 執筆) |
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社会のあらゆる「ネットワーク(網)」というものが持っていると考えられる 「金持ちはもっと金持ちに」 つまりはネットワーク上の特定の存在に資源(権力、金、知識、情報など)が集中して「人気者」となり、他との差が加速度的に開いて行く、という言わば「ネットワーク摂理」について、 ここでは「ハブ(HUB)空港」と「地方空港」の例を引いて説明しておきたいと思います。 尚、「ハブ(HUB)空港」とは、 そこに接合されると、そこから多くの都市・地域へ移動できる航路が用意されている拠点空港のこと、 言わば「集約点」です。 (日本ですと羽田空港や成田空港が当たるでしょう) この「ハブ(HUB)空港」が言わば「金持ち」や「人気者」に当たり、 利便性を考えてより多くの空港や都市・地域がどんどんと繋がりたがることでしょう。 一方、それほど接合されている都市・地域が多くない、言わば「地方空港」は 自然の成り行き任せでは誰も見向きもせず、経済的な側面などを含めた存在の大きさ(もしくは小ささ)「「ハブ(HUB)空港」と比較して開いていくばかりでしょう。 「地方空港」がこの状況を打開しようと思えば、 自然の成り行き任せではなく、例えば日本の例であれば、日本のみならず近隣海外のハブ空港と直接繋がってしまうことによって存在感を高めるなど何らかの戦略的な策が必要とされることでしょう。 この例は、個々の人の存在についても当てはめることが出来ると考えます。 (既に)「富める者」は「自助努力」「自己責任」を主張するかもしれません。 確かにそれもあるかもしれませんが、我々はそれを十分条件とは考えません。 何故なら、時に運やタイミングなど、1個人の努力の多寡だけでは説明できない他の諸条件も左右して、ある1個人の存在というものはある、と我々は信じるからです。 特に、このようにして育つ強大な力により、相対的に弱い存在の生存権までもが脅かされるような状況は、 自然摂理に任せるままではなしに、常に目を配り、人為的な策を講じて行く。 この「ネットワーク摂理」、また「如何にそれぞれの価値観を大切にしながら皆が豊かな気持ちでいられるか」を意識して行動が出来る人員層の厚みを増すこと、これも結接点.net は目指して行きます。 |
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「半学半教」 これは、 「長幼先後の別ではなく、ある分野で先んじている、長けている者が他の者に教える。 分野や内容が変われば師と生徒の関係性が入れ替わったりする。」 ような、集団の中での学びの形態を示す言葉です。 当プロジェクト 代表の随筆でも取り上げたこともあり (『【随想:学習論】 「教育」という言葉は嫌いである。「半学半教」という言葉が好きである。』)、 また、慶應義塾大学のWebサイトにも用語解説のページがあります。 「人間の学び」の過程の持つダイナミズムや本質を突いている感じがしますが、 慶大のサイトにもある通り「今では全く使われない用語」と言え、そうなると、使われないことが惜しまれます。 所謂、西洋化、近代化以降、もしくは日本の歴史を通じて常に、「良いものは全て海の向こうからやって来る」感覚に多くの日本人は馴らされてしまっているようにも思われます。 環境要因、その風土だからこそ生まれ、且つ世の中を切り取るに本質を突いた言葉や概念、制度・仕組みなどは多く存在するはずです。 日本に限らず、多くの地域で、その土地に根ざし、且つ世界的にも通用する普遍的な言葉や事柄を掘り起こし、その地域の人が胸を張って世界に向かって発信する。 そしてそれを暖かく迎え入れ、受容する。 そうした社会環境が醸成されることも結接点.net の目標の一つ。 そうした姿勢を象徴する言葉としても「半学半教」、大切にしていきます。 |